院長の漢方コラム

よい餅とは

昔は餅は殊ある毎に祝いの席に当たり前に食べられていた。正月は勿論、節句や遠方から珍しい人がたづねて来たときなども、餅を様々に調理して食べていた。私も岩手の田舎に行くと必ず餅があんこや胡桃や雑煮など幾つも味を変えて食べさせて貰い楽しかった覚えがある。しかも普通に年寄りもそれを食べており、餅は消化が良いから後で腹が減るのでたくさん食べるようにと言われ、腹一杯に食べたものである。
塵添壒嚢鈔によれば年始に餅を食べるのはなぜだかわからないが、餅は「福の源」だからではないかと書かれている。折角なので少し謂れを書くと、昔豊後国の大分郡に住む人が田を作って住んでいる人が居り、大いに家富み楽しく暮らしていた。その人が酒を飲んで遊び、そのとき戯れに餅を的にして弓矢を射ったところ餅が白い鳥になって飛び去ってしまった。それからその土地は次第に衰えて荒れ地になってしまった。そこにまた別の人が田を作ったけれども皆駄目になってしまい驚いた。つまり福神が去ってしまったからであるという。餅は福体なので年始にもてなすべし。餅を二人向かいて引き割るをば福引きと言い慣わすのも故なきにあらず。
餅をひき割るというが、近頃の餅は非常に良く伸びるので餅を両側から引っ張ってもどこまでも伸びてしまってなかなか割ることが出来ない。そういう餅は危ない。昔のついた餅はある程度までは伸びるものの、ある処で千切れる餅であった気がする。その頃には年寄りが餅をつっかえる話はあったが、背中を叩けば落ちる程度の痞えであり、それで死んだという話はあまり聞かない事だったという。
江戸時代の錦嚢治術全書には、餅の咽喉につまりたるを治すには、土竜(うごろもち/モグラのこと)を黒焼にして呑ますべし即に下るなり、又地黄煎を食ふべし通るなりと書いてあるが、そういう千切れる餅であれば苦味の薬である鼹鼠黒焼や下り飴である地黄煎を食えばすむ程度の詰まりで済んだのだろう。
壒嚢鈔に又曰く、十月の亥の日に餅を食えば万病を除くと。餅は祝い事の象徴であり、病除けの象徴。今世の餅はあまりに伸びすぎて危うし。気を付けて楽しく食べていただきたい。

(2021年12月13日 月曜日)

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